「天平大仏記」 澤田ふじ子 中公文庫
2005年 04月 12日
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歴史の教科書レベルでは、聖武天皇と言うと、平城京を作り、奈良の大仏を作った壮大な古代を代表する帝王の一人というイメージだが、本当は政治は藤原氏にほしいままにされ、悪霊や天変地異に怯えて各地を彷徨った気弱で哀れな人物だったらしい。
この作品で扱われているめまぐるしく繰り返される遷都、巨大な盧舎那仏の造顕と言った事柄も、まさに聖武のそんなの怯えが反映されている。藤原仲麻呂はそんな状況を利用し、父や叔父たち藤原四兄弟の相次ぐ死で藤原氏が弱体化し、橘諸兄に政権を牛耳られている現況を覆すべく陰謀をめぐらす。紫香楽宮で造仏途中だった盧舎那仏も、仲麻呂の暗躍による再びの平城京への遷都に従い、現在の位置(奈良 東大寺)に再度造り直されることになったのだが、その一連の政治的な動きに巻き込まれ、翻弄された一人の工人(技術者)奴婢が主人公になっているのがこの作品だ。
大仏造顕に係わった奴婢の視点から歴史を描いたのはとても斬新な試みで、それは成功しているように思う。奴婢たちの哀しみや憤りも良く伝わって来るし、人々を救うはずの盧舎那仏が彼らの苦しみの上に建っている皮肉も感じる。
しかし、主人公の工人奴婢・天国(あまくに)は単なる労働力として牛馬同然に扱われる多くの奴婢たちとは違い、卓越した造仏師としての腕を持っている。それによって身分を越えたある種の尊敬を受け、一方でそのために妬まれ、といった複雑な立場にある。
また、大仏完成後は放賤され良民になれるという希望とは別に、前代未聞の規模を誇る大仏造顕を成功させたいという工人としての純粋な願望と意欲、そして誇りも持ち合わせている。
その辺りの機微が良く捉えられ、淡々とした文章で描かれている。
このような人間ドラマとして読めるのと同時に、造仏の方法なども細かく書かれていて、資料としても価値がありそうだ。
著者の著作にはこうした歴史モノより時代小説の方が多いようだが、歴史モノでは必ずといっていいほど、職人や芸術家が題材にされているようだ。著者自身、西陣織の職工の経験があるそうなので、職人や芸術家の気質に共感を持っているのかもしれない。
歴史の教科書レベルでは、聖武天皇と言うと、平城京を作り、奈良の大仏を作った壮大な古代を代表する帝王の一人というイメージだが、本当は政治は藤原氏にほしいままにされ、悪霊や天変地異に怯えて各地を彷徨った気弱で哀れな人物だったらしい。
この作品で扱われているめまぐるしく繰り返される遷都、巨大な盧舎那仏の造顕と言った事柄も、まさに聖武のそんなの怯えが反映されている。藤原仲麻呂はそんな状況を利用し、父や叔父たち藤原四兄弟の相次ぐ死で藤原氏が弱体化し、橘諸兄に政権を牛耳られている現況を覆すべく陰謀をめぐらす。紫香楽宮で造仏途中だった盧舎那仏も、仲麻呂の暗躍による再びの平城京への遷都に従い、現在の位置(奈良 東大寺)に再度造り直されることになったのだが、その一連の政治的な動きに巻き込まれ、翻弄された一人の工人(技術者)奴婢が主人公になっているのがこの作品だ。
大仏造顕に係わった奴婢の視点から歴史を描いたのはとても斬新な試みで、それは成功しているように思う。奴婢たちの哀しみや憤りも良く伝わって来るし、人々を救うはずの盧舎那仏が彼らの苦しみの上に建っている皮肉も感じる。
しかし、主人公の工人奴婢・天国(あまくに)は単なる労働力として牛馬同然に扱われる多くの奴婢たちとは違い、卓越した造仏師としての腕を持っている。それによって身分を越えたある種の尊敬を受け、一方でそのために妬まれ、といった複雑な立場にある。
また、大仏完成後は放賤され良民になれるという希望とは別に、前代未聞の規模を誇る大仏造顕を成功させたいという工人としての純粋な願望と意欲、そして誇りも持ち合わせている。
その辺りの機微が良く捉えられ、淡々とした文章で描かれている。
このような人間ドラマとして読めるのと同時に、造仏の方法なども細かく書かれていて、資料としても価値がありそうだ。
著者の著作にはこうした歴史モノより時代小説の方が多いようだが、歴史モノでは必ずといっていいほど、職人や芸術家が題材にされているようだ。著者自身、西陣織の職工の経験があるそうなので、職人や芸術家の気質に共感を持っているのかもしれない。
by yuiga28
| 2005-04-12 09:35
| Book 歴史